移転価格税制の実務研究ノート

移転価格税制の勉強の過程。実務のヒントを探しています。

「世界標準の経営理論」からの示唆⑤(取引費用理論は独立企業間原則を否定する)

「世界標準の経営理論」(入山章栄著、ダイヤモンド社)に基づいて、移転価格税制のあれこれについて考えてみる試みの第5回。

今回は「第7章 取引費用理論(TCE)」を対象とする。

 

まず、取引費用理論の概要については、入山先生の本書ではなく、菊澤研宗「戦略の不条理」光文社新書P.162-168を参照したい。(下線は当記事筆者。)

…「取引コスト」を発見し、それが人間の行動に大きく影響することを説明したのは、1991年にノーベル経済学賞を受賞したロナルド・H・コースや、オリバー・E・ウィリアムソンたちです。
ウィリアムソンによれば、人間は…完全合理的ではなく、限定合理的であるとします。人間は情報を完全に収集、処理、伝達できず、限られた情報の中でのみ合理的に行動しようとするものと見なすわけです。しかも、人間は、隙あらば、…自己利益を追求しようとする機会主義的な存在でもあるとします。
このように、もしすべての人間が限定合理的で機会主義的であるならば、互いに知らない者同士が市場取引を行う場合、相手の不備につけ込んで、機会主義的に自分に有利になるような駆け引きをする者が現れてきます。すると、相手にだまされないように事前に相手を調査し、弁護士を雇って正式に取引契約をかわして契約後も履行を監視する必要がでてきます。… このように、交渉取引には多くの無駄な時間や労力が使われる可能性があり、このような非効率性のことを「取引コスト」と呼ぶのです。(P.163-4)

この「取引コスト」は「正確に測定し数値化すること」は「できない」し、「会計報告書に記載されうる費用では」なく、また「目に見えないもので」ある。「しかし、経営者は…この取引コストも意識してマネジメントを行っている」。(以上P.164より。)

ここで、入山先生の「第7章 取引費用理論(TCE)」に戻って、引用する。(下線は当記事筆者。)

・「TCEは『企業とは何か』ということまでを説明できる。」(P.140)

・「例えば、もし外注によって市場取引している…『調達』部分の取引コストが、外注による原価減少等のメリットよりも大きい…なら、その『調達』部分は企業に内部化した方が効率がいいことになる。この場合、『企業の範囲』は川上方向に伸びる(川上への垂直統合)。もしその逆(外部化による取引コスト<外部化の原価減のメリット)なら、外注したままの方が効率がよいので、企業の範囲は変わらない。」(P.141)

 ・「このようにTCEの視点からは『企業の存在とは、市場における取引コストが高い部分を内部に取り込んだもの』となるのだ。」(P.141)

・「…TCEは、『市場の対極にいるのが、企業である』と主張した…。」(P.141)

 ・「一般に、取引コストを抑えようとするほど、相手をコントロールする必要があるので、そのために投下する資金・生産コスト・販管費などがかかる。逆に合弁企業のように新しい組織をつくるよりは、技術ライセンシングの方がはるかに投下する資金はかからない。…TCEの視点からは、『取引コストを抑えられるコントロール度合い』と『そのための様々な諸費用の出費はトレードオフの関係にあ」る。(P.146)

以下はP.147の図表5「様々な取引ガバナンスの関係」を少し改変した図。上記の「トレードオフの関係」を自分で理解するために作ってみた。

事業会社にいる者として、買収を行うと、買収価額そのものも当然であるが、統合効果を十分に発揮するために必要となるPMI(Post Merger Integration)活動の費用が、買収を主導した事業部門のみならず、ありとあらゆる本社部門において発生することは強く実感する。しかも、その活動は買収当初のみならず、様々な形で続いていく。

ここで再度、菊澤先生の「戦略の不条理」に戻って、本書P.164-P.166にて紹介されている事例を取り上げたい。取引コストを理解する上で非常にわかりやすい。

以下簡単に要約する。

  • 日本メーカーA社は納期・品質面に優れる部品メーカーB社と取引を続けてきているが、その取引価格はやや高い。
  • この状況下で見知らぬ部品メーカーC社から、B社との価格よりもはるかに安価な供給の提案があったが、A社としてB社との取引を継続すべきか、それともC社に乗り換えるべきか?
  • この場合、A社は価格面のみならず「取引コスト」を意識するはず。B社との取引には不確実性や駆け引きがあまりなく、取引コストは低い一方で、C社と取引を新たに開始する場合には、C社の事前調査、取引開始後の監視が必要になる等の取引コストが多大に発生することが想定される。

あとはC社との取引によって「目に見えない」取引コストが増加する分と、C社が提供する「目に見える」部品コストの値下がり分との天秤によってA社の判断が下されることになるだろう。実際にはどちらかに絞るという選択だけでなく、C社を少量/お試し的に使ってみる等、選択肢はいろいろと考えられる。

さて、上記A社とB社/C社の事例をさらに活用して、B社あるいはC社を子会社化(BS社とCS社に名称変更)した時に、BS社/CS社との関連者間取引価格にCUP法を適用し、買収前のB社、C社との取引価格は使えるのだろうか、という点を考えてみたい。

  1. 仮にB社あるいはC社を子会社化する前に、B社/C社から2社調達していた場合で、かつC社価格は上記の通り「はるかに安価」だった場合に、B社との取引価格とC社との取引価格のどちらがCUP法において適用し得る市場価格となるのだろうか?
    • 直接的な取引価格だけを見た場合にはB社の方が高く、C社の方が安い。でもC社との取引には目に見えない取引コストがかかっている。目に見えている取引価格だけを見て、決められるのだろうか?
  2. 子会社化してしまうと、上図の通り、市場で取引していた時よりも取引コストは大きく減少する一方で、A社側の実際発生コストは増加する。買収によってこのような変化が発生するにもかかわらず、買収前価格を厳密な比較可能性が要求されるCUP法に使うことはできるのだろうか?
  3. 仮に買収前価格が、買収後のCUP法適用時の比較対象として使用できるとしても、それはいつまで有効なのだろうか。買収前価格はその時点でのA社とB社/C社との間の「力関係」の結果として決まったものであって、買収後はその「力関係」は変わってしまう。
  4. いろいろと考えていくとやはり、上記入山先生の本のP.141の引用の通り「市場の対極にいるのが、企業である」ということであり、市場取引を絶対的な基準としてグループ内取引に持ち込もうとする独立企業間原則には本来的な無理があると考えざるを得ない。