移転価格税制の実務研究ノート

移転価格税制の勉強の過程。実務のヒントを探しています。

アドビ事件のおさらい①(販売会社から役務提供会社への再編)

アドビ事件について、以下の本及び論文を用いて考えてみたい。

  • ①藤枝純・角田信広著「移転価格税制の実務詳解(第2版)」中央経済社(特にP.158~164)
  • ②海老原宏美「独立企業原則の限界と修正ーアドビ事件を題材としてー」(2013年、「租税資料館賞受賞論文集22(中)」pp,3-105(論文へのアクセスは、公益財団法人租税資料館 第22回入賞作品より。https://www.sozeishiryokan.or.jp/award/022/009.html))
  • ③居波邦泰「アドビ事案に係る国際的事業再編の観点からの移転価格課税の検討(上)」税大ジャーナル(第14号、2010年6月)、「アドビ事案に係る国際的事業再編の観点からの移転価格課税の検討(下)」税大ジャーナル(第15号、2010年10月)
  • ④田島宏一、西村憲人(編著)、南繁樹著「移転価格税制・海外寄附金のケーススタディ中央経済社、P.185-190
  • ⑤太田洋、手塚崇史「アドビシステムズ事件東京高裁判決」(中里実、太田洋、弘中聡浩、宮塚久「移転価格税制のフロンティア」有斐閣、2011年、P.44~73)

以下では上記文献を①~⑤の番号で示す。

 

事件の概要

事件の内容については、上記各文献それぞれで詳細に説明されているので、ここでは文献①のP.159~160からの以下概要の説明と、文献③(上)P.125からの結論部分について、引用しておくにとどめる。

(文献①)アドビ・ジャパンは、国外関連者からコンピュータソフトウェア商品を輸入し国内の顧客に転売する事業活動を営んでいたところ、事業再編の結果、軽課税国に所在する国外関連者が国内の顧客にソフトウェア商品を直接販売する事業形態に変更され、アドビ・ジャパンは販売サポート等の活動を行う役務提供会社となり機能が大きく縮小され、その利益率も大きく低下しました。アドビ事件においては、当該再編後のアドビ・ジャパンによる役務提供の対価が独立企業間価格かどうかが争われました…。

 

(文献③(上))結局、アドビ事案において課税当局は、受注販売方式であれば在庫リスクが存在していないことに着目して…「再販売取引」を比較対象取引として選定したわけであるが、控訴審ではこれに比較可能性が認められないとして受け入れなかった…。

 

改変した事例

ここでは、実際の案件を単純化・変更した以下の改変事例で考えていきたい。

改変事例の前提条件は以下の通りとする。

  • X国の親会社P社は、事業全体を主体的に企画・実行する会社として、グループ全体の研究開発機能、事業運営機能を担う。
  • P社は日本に販売子会社S社を設立し、X国の製造子会社A社で生産させた製品を、S社を通じて日本の得意先に販売していた。
  • P社グループは事業再編の一環として、各国得意先に対してP社自身が直接販売することとし、日本においても同様とした。
  • S社はP社と販売業務委託契約を締結し、実質的には販売機能を担当していた時と同様の役務(日本の得意先に対する売り込み、得意先及び製造子会社A社との間の納期調整、得意先からの回収支援等)をP社に対して提供する会社となった。P社はS社に対して、S社のコストに数パーセントの利益を上乗せした業務委託手数料を支払う。

 

文献③(上)P.126は「国際的事業再編に移転価格税制を適用する場合には、その適用が可能な場面」として、

第1時点・・・事業再編時において、国外関連者に移転された「機能」である無形資産等について移転価格税制を適用すること

第2時点・・・事業再編後において、「機能」の移転後に残された関連者間取引について移転価格税制を適用すること

があると指摘する。

なお、アドビ事件において「代理人PEの認定による」課税(改変事例においてはX国親会社P社への日本税務当局による日本PEへの課税)が考えられるとの指摘は文献③(上)P.126だけでなく、文献⑤P.64、文献④P.190も指摘しているところであるが、ここでは移転価格課税に絞って考えたい。

 

第1時点における移転価格課税の検討

文献③(上)P.132~3は、販売機能を担っていた子会社Sが役務提供者へ転換させられるような事業再編に関連して、関連者間で無形資産が移転されたものとして、その対価が支払われるべきであるとの指摘が考えられるとする。この無形資産の移転について、文献③(上)では「販売用無形資産が移転された」とする考えと、「契約上の権利が移転された」とする考えの二つが提示されている。

 

販売用無形資産の移転

文献③(上)時点でのOECD租税委員会による事業再編への移転価格税制の適用についてのディスカッション・ドラフト(2008年9月19日)の内容が紹介されているが、OECD移転価格ガイドライン(2017年版)においては以下の箇所(下線は当記事筆者)が該当するものとして、文献①P.159、文献④P.189では指摘されている。(9.65後半の内容は第2時点についての検討。)

9.65 特に、フルフレッジ販売会社から、例えばリスク限定販売会社又はコミッショネアへ転換する場合、事業再編までの長期間に渡り、フルフレッジ販売会社が現地のマーケティング上の無形資産を開発してきたか、開発してきたのであれば当該無形資産の性質及び価値はどのようなものであるか、そして、それらは関連者に譲渡されたか、ということの検討が重要であるかもしれない。このような現地の無形資産が存在し、国外関連者に譲渡されたことが判明した場合、比較可能な状況において非関連者間であれば合意されたであろう内容に基づき、当該譲渡に当たって対価が支払われるべきか、支払われるべきならどのように支払われるべきかを決定するために、独立企業原則を適用すべきである。この点、譲渡側が、再編後も引き続き、譲渡した現地の無形資産の開発、改良、維持、保護又は使用に関する機能を果たす場合(第 6 章 B.2.1 参照)、この機能に対する独立企業間対価を(譲渡した無形資産に対する独立企業間対価とは別に)受け取るべきということに留意する必要がある。一方、そのような現地の無形資産は存在するものの再編対象のメンバーの元に留まることが判明した場合、再編後の業務に係る機能分析において、このような資産が考慮されるべきである。したがって、それらは、再編後の関連者間取引について適切な対価が算定されるための最適な移転価格算定手法の選択及び適用に影響するかもしれない 。 

これまでの子会社S社の日本における得意先開拓活動、得意先との関係の構築・維持活動、市場動向の把握活動等の価値を無形資産として認め、これを引き継ぐX国親会社P社にその対価を要求するイメージだろうか。

 

契約上の権利の移転

契約上の権利の移転に関しては、文献①P.161-2において、OECD移転価格ガイドライン(2017年版)では以下の箇所(下線は当記事筆者)が該当するものとして紹介されている。

9.66 契約上の権利が、価値のある無形資産になる場合がある。価値のある契約上の権利が関連者間で譲渡(又は放棄)される場合、譲渡された権利の価値を譲渡側及び譲受側の双方の観点から考慮して、独立企業間価格が算定されるべきである。

9.67 税務当局は、企業が当該企業の収益源であった契約を自発的に終了し、国外関連者に同様の契約を結ばせてそれに伴う潜在的収益を享受させるという、実務上で見受けられる事例に懸念を表明してきた。例えば、A 社が、非関連顧客との間で、 A 社にとって重大な潜在的収益をもたらす、価値ある長期契約を有するとする。ある時点で、当該 A 社の顧客が B 社(A 社と同じグループに属する海外企業)との間で類似の取決めを法律上又はビジネス上しなければならないという状況下で、A 社が自発的に顧客との長期契約を終了するとする。この結果、それまで A 社が有していた契約上の権利とそれに伴う潜在的収益は、B 社のものになる。事実上、もし、A 社がその収益に係る契約上の権利を放棄するという前提がある場合のみ、B 社が当該顧客と契約を締結することができ、かつ、A 社は当該顧客が B 社との間で類似の取決めの締結を法律上又はビジネス上しなければならないことを知った上で顧客との当該契約を終了したのであれば、これは実質的に三者間の取引であろう。A 社とB 社の双方の観点から検討した A 社の放棄した権利価値によっては、A 社から B 社への価値ある契約上の権利の譲渡に該当するかもしれず、独立企業間対価の支払いが求められるかもしれない。 

こちらは子会社S社が日本ビジネスを失うことへの補償を、ビジネスを引き継ぐ親会社P社に対して求めるイメージだろうか。

 

若干の考察

文献③(上)では上記二つの無形資産の移転が考えられるものの、「販売用無形資産の移転に関して、独立企業原則に基づきその対価が支払われるべきであるとの指摘はそのとおりであるが、問題となるのは、価値ある重要な無形資産については一般的に比較対象取引が存在していないことでその評価が困難である」(P.132)一方で、「アドビ事案では事業再編に際し、日本子会社(当記事筆者注:改変事例では日本のS社)と国内卸業者(同:日本得意先)との関係は終了し、外国親会社(同:X国親会社P社)と国内卸業者(同:日本得意先)への契約に切り替えられたものと考えるが、これは…契約上の権利の移転に該当する…と考える。これによるのであれば、日本子会社(同:日本のS社)が放棄したと想定される利益額を算定することで、それが独立企業間において補填されるものであるのであれば、これを基に独立企業間価格を算定することができるのではないか」(P.133)とする。

 

個人的には、上記二つの無形資産の移転(販売用無形資産の移転、契約上の権利の移転)のいずれに該当すると考えたとしても、その譲渡対価は、上記③(上)で指摘されている「日本子会社が放棄したと想定される利益額」で算定するしかないように思う。ただし、日本子会社S社は確かに再編後にこれまで獲得してきたのと同程度の利益を今後獲得できないという意味で利益を放棄させられている点から、当該再編は「契約上の権利の移転」に該当すると考えることができると思うが、「販売用無形資産」が移転しているのかと考えると、再編後も当該「販売用無形資産」を活かしてP社から委託された販売業務を遂行しているとも考えられると思う。

これは第2時点における移転価格の検討の論点となり、第2時点の販売業務委託料でこの「販売用無形資産」への対価が考慮されるのであれば、第1時点ではS社からP社に何も譲渡されていないと考え、対価のやり取りは不要となる。逆に、第1時点として「販売用無形資産」の対価のやり取りを行った場合、第2時点の販売業務委託料はS社側に何らの無形資産もないのだから、コストプラス数パーセントだけの支払いでよいことになる。

つまり、仮の結論としては、改変事例のようにグループ会社の機能を販売から販売受託(役務提供)に変更(=機能を縮小)したことによって、当該子会社にて期待される利益も縮小する場合には、第1時点において、名目は難しいものの、対価の支払いの検討は必要であること、仮に第1時点において何らの対価もやり取りしないのであれば第2時点での検討が必要になること、だろうか。

 

第2時点における移転価格課税の検討

文献②は以下引用(下線は当記事筆者)の通り、再編後もアドビ(改変事例における日本子会社S)が独立した販売会社の主たる機能を果たしており、販売機能を改変事例における日本子会社SとX国親会社P社とで分けて担当していること、また、このような機能の分担はグループ会社ならではの分担であり比較可能な独立企業間取引は見出しづらいことから、残余利益分割法が妥当な移転価格算定方法であると主張する。

これは第2時点、つまり事業再編後、における関連者間取引への移転価格税制の適用についての議論となる。

…アドビU.S.は、国際的事業再編を通じて、従来アドビが果たしていたいわゆる「販売機能」を本件国外関連者に吸収させたが、従来のアドビの販売機能のすべてが本件国外関連者に移転されたわけではない…。(P.78)

…アドビから本件国外関連者に移転されたのは、販売機能のうち、情報通信技術の活用により統合が可能な、商品の受発注以降の処理に係る、一部分に過ぎないとみることができる。販売機能のうち、顧客との直接的な接触を必要とする部分を国外に移転することは、通常困難である。課税庁が、裁判において、本件国外関連者の機能は「商品の受発注および配送手続き、仕入れ金額の支払いおよび販売代金の受領等」の事務処理作業にすぎないと断じたことは、この点を突いたものといえよう。アドビが、再販売業者の行う主要な機能を果たしているとの主張である。(P.78-9)

アドビ・グループが、当事者の機能・リスクおよびビジネスモデルの両面で、グループ企業が全体で一体的である、典型的な多国籍企業であることを考えると、…独立企業原則の限界と修正の動きから判断して、課税庁は本件国外関連取引に対して、利益法の適用に目をむけるべきではなかったと思われる。…より具体的には、利益分割法の適用が妥当するものと考える。(P.80)

…本件国外関連者は…商標やブランドはもとより、グローバルなマーケティング活動の統括を通じて…製品の企画等に反映させていると考えられ、複数の無形資産を有していたものと推測される。一方で、アドビにも、販路や営業担当者を中心とする従業員の専門知識や経験といった無形資産が存在する。このため、本件に適用される利益分割法は、残余利益分割法が妥当である。

再編後も改変事例における子会社Sが「再販売者の行う主要な機能を果たし」続けている、再編後も子会社Sが「販路や営業担当者を中心とする従業員の専門知識や経験といった無形資産」を活用し続けるとするならば、第1時点(事業再編時)においては、無形資産は何も移転していないが、再編後も「再販売者の行う主要な機能」、「従業員の専門知識や経験といった無形資産」に見合った対価が子会社Sには必要ということになる。上記で引用したOECD移転価格ガイドライン(2017年版)9.65の「そのような現地の無形資産は存在するものの再編対象のメンバーの元に留まることが判明した場合、再編後の業務に係る機能分析において、このような資産が考慮されるべきである」ということである。

つまり、S社のコストに数パーセントの利益を上乗せした業務委託手数料を受領するだけでは不十分であり、販売会社と同等の機能を果たしていることから、役務提供会社に再編された後であっても、自身が獲得した売上高(P社で計上される)に対する一定率のリターンの分け前にあずかる、ということになるだろうか。

もちろん、S社がどの程度の分け前にあずかれるかは、機能とリスクの実態をみないとわからない。販売活動の実態が親会社Pが決めたビジネスを現地側で詰めるだけのいわば作業的な活動なのか、それとも子会社S自身が得意先の開拓から売り込みまで尽力しているのか、また、親会社Pが再編後に担う在庫リスクや回収リスクの実際の程度(受注生産方式のビジネスであれば実質的な在庫リスクはほとんどない場合もあり得る、また回収リスクは業界・地域によっても相違する)も見る必要がある。

そして、そのようなP社、S社双方が再編後に果たす機能とリスクを考慮した利益配分を実現するような業務委託料の計算を行うことになるだろうか。

 

検討対象の事例を変更して、グループ内の製造子会社に関する組織再編についても考えてみたいが、長くなってきたので、一旦ここまで。