移転価格税制の実務研究ノート

移転価格税制の勉強の過程。実務のヒントを探しています。

移転価格読書術①

最近(でもないが)読んだ本より。移転価格と関係あったりなかったり。

 

「『参考』になる部分が1つでもあれば」よいという考えは、本の購入の後押しをしてもらっている感覚になる。

税法読書術 | 泰嗣, 木山 |本 | 通販 | Amazon

税法の条文についてはネットでいくらでも確認できるなかで、「あるテーマを学ぼうとしたときには、基本に原典があることを強く意識」し、「そのうえで、その原典に直接触れるにはハードルが高いと自分が思っているからこそ、それを補助してくれる本の存在が必要になり、その本を参考資料として読もうとしていることを自覚することが重要」(P.94)。それらの参考書には「『参考』になる部分が1つでもあれば、購入した価値はあったと思うのがよ」く、「同一テーマの本をある限り読んだうえで、それらの1つ1つから有益な情報やその分野の考え方を学びとっていく」のがよい。(P.94-5)

 

以下の本からはこのようなブログを続けることについて、背中を押してもらっているような感覚を勝手に持っている。実際、仕事などで調べ物をする際に、自分のブログの記事や記事内に添付したリンクが「自分のためになる」経験をしたことが少なからずある。それと、もやもやと頭で考えていたことを一旦「出す」(アウトプットする)ことによって、なぜか考えが整理できたり、「次」に移れるようになり、インプットが進む感覚もある。

Amazon.co.jp: 読む・打つ・書く: 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々 : 三中 信宏: 本

P.iv「一読して感銘を受けた本であっても、年月が経つとともにどこのページに書かれてあるどんな文章が印象に残ったかをきちんと覚えておくのは至難のことだ。対策はただひとつ、『本を読んだら必ず書評を書くこと』である。…本を読み終えたら書評文を打とう。ネットでは自分が買った本のリストをただ並べているだけのサイトも少なくない。そうではなく、読み終えた本からどんな点でインスパイアされたのかとか、どこに異論があるのかをちょっとでも書き記せば、自分のためになることはもちろん、ひょっとしたら見知らぬ他人のためになるかもしれない。」

P.316「『たくさん書きさえすればいいのか?』という疑問を抱く読者はきっといるだろう。おそらくその読者は書いた文章のできばえを気にしているのだろう。よくあるこの疑問に対して、私は『そのとおり。たくさん書きさえすればいいんです』といういささか挑発的な返答をあらかじめ用意している。当たり前のことだが、そもそも書いた文章がなければ加筆修正したりポリッシュアップできないだろう。できばえなんかあとでいくらでも手を入れられる。まずは四の五の言わずに書きまくれ。」

 

以下は移転価格税制上よく問題になる無形資産の評価を考える上で参考になりそうな内容。参考になりそう、というよりも、無形資産とは本質的には情報であるとするならば、グループ内での情報のやり取りは何の制約もなく行われるはずであり、そこに価格設定をしようとすることの不可能性をあらためて認識させられた。独立企業(でもないが)間であれば「情報の提供者と、うけとり手」の「『格』」で価格が決まるという指摘も面白い。

情報の文明学 (中公文庫 う 15-10) | 梅棹 忠夫 |本 | 通販 | Amazon

  • 「…(現在の経済学)の価格決定の理論において考慮の対象となっているのは、あきらかにもっぱら商品なのだ。とりわけ、工業的生産によって算出されたところの商品なのだ。さまざまな精神的生産物、たとえば著作権料とか、特許料とか、あるいは原稿料、講演料、演奏料のたぐいの価格がどうしてきまるのだろうか。もっと一般的にいって、つまり「情報」の値段はどうしてきまるのだろうか。こういう点になると、どうもふつうの経済学の価格決定の理論からは、はっきりした答がでてこないのではないかとおもわれる。…この種のものは、…そもそも計量化できない性質ものだし、原則としておなじものがふたつとないのだから、限界効用もへちまもないのである。」(P.46)
  • 「…情報あるいは疑似情報の価格というものは、どうしてきまるであろうか。…情報というもののもつ奇妙な性質から、まことにこまることが続出するのではないだろうか。…こういうところへ原価計算の原理をもちこむと、はなはだ変なことになる。…需給関係できまるといっても、情報というものは、きくまでが花で、一回きいてしまえばおしまいである。原則としておなじものがないし、見こみ買いばっかりなのだから、それもおかしな話である。」(P.48-49)
  • 「じつはここで、情報の価格決定法についてひとつの暗示をあたえる現象がある。…坊さんのお布施である。あれの価格はどうしてきまるか。お経のながさによってきまるわけでもなし、木魚をたたく労働量できまるものでもない。…お布施の額を決定する要因は、ふたつあるとおもう。ひとつは、坊さんの格である。えらい坊さんにたいしては、たくさんだすのがふつうである。もうひとつは、檀家の格である。格式のたかい家、あるいは金もちは、けちな額のお布施をだしたのでは、かっこうがつかない。…この決定のしかたは、たいへんおもしろいものをふくんでいる。…情報の提供者と、うけとり手との、それぞれの社会的、経済的な格つけは、いちおう客観的に決定することができるはずのものである。このふたつの格の交点において価格がきまる、というかんがえかたなのである。」(P.49-50)
  • 「じっさい、すでにそういうふうにして決定されているものもたくさんあるとおもう。たとえば、講演料やラジオ、テレビの出演料などは、実質的にはやはりこのお布施原理によって支はらわれているのだろう。…原稿料などというものも、ほぼおなじ原理にしたがっているようだ…。」(P.50)
  • 「『格』というのは、いわばそれぞれの存在の、社会的、公共的性格を相互にみとめあうということにほかならないのである。社会的、公共的性格を前提としないで、個別的な経済効果だけを問題にしてゆく立場からは、情報産業における価格決定理論はでてこない。」(p.52)