移転価格税制の実務研究ノート

移転価格税制の勉強の過程。実務のヒントを探しています。

藤本隆宏著「能力構築競争」(中公新書)に基づいて考えてみる

藤本隆宏著「能力構築競争」(中公新書)に沿って、以下の1.と2.の問いについて考えてみたい。(3.はメモ。)以下のページ数は本書のページ数を示す。

 

1. 製造会社(工場)の「強さ」の差は存在するのか?

移転価格税制において、製造子会社の競争優位性というものは存在しないもの、として扱われているように感じる。本書において、経済学が前提としているモデルは以下のように説明されているが、経済学の知見を活かす移転価格税制においても、事情は全く同様である。

…標準的な経済学のモデルでは、たいてい企業の競争能力は所与で、企業間で差がないと仮定されている。むろん、こうした経済学も、市場競争の圧力下にいる諸企業が能力構築の努力を怠らないという過程は織り込み済みだ。しかし、企業のそうした努力はただちに実現し、打ち消し合い、その結果はいわば「引き分け」と考える。あるいは、能力の劣る企業は即座に淘汰されると仮定する。その結果、まがりなりにも存続している企業の間には、組織能力の差はないとみなされる。以上が、標準的な経済学における暗黙の前提である。(P.46)

しかし、「モデル」ではなく、現実の世界においては、工場の実力差というものは存在していると感じている。本書においては、「日本の自動車企業が対米輸出を量的に急拡大させた」「1970年代後半」(P.171)において、当初はその「競争力の源泉は低賃金」(P.171-2)にあるとみられていたが、「1980年代前半」には「何らかの『もの造りの組織能力』のシステマティックな違いが、深層の競争力、さらには表層の競争力の違いを生み出している、という認識が欧米企業に浸透しはじめ」(P.172)たことが指摘されている。そして、対日キャッチアップには「現実の競争力差の発現…から数えて、問題の特定に数年、実態の体系的な認知に10年以上、その取込みと本格的な成果の顕在化も含めれば、20年近く、あるいはそれ以上かかっている」(P.172)。

つまり、現代の製造業を代表する自動車業界において、『もの造りの組織能力』が競争力の差を生み出していることは広く認知されており、日本の自動車会社に追いつくために他企業は20年以上の長い時間をかけて努力し続けてきたのである。

上記の問いに対する答えとしてはひとまず、「工場の実力差は存在する」と言うことができると考える。

しかし、「能力構築競争」には、「比較すべき基準が明確でない」、「競争相手の正確なレベルが測定しにくい」といった特徴がある(P.47)。そのため、自社グループの製造子会社に「ものづくり力がある」と主張したくても、「ものづくり力」をはかるベンチマークのコンセンサスもないし、仮にコンセンサスがあったとしてもコンパラブルのそのような内部情報を取ることは通常はできない。ということで実力差は存在するものの、そのことを説明、証明するのは著しく困難である。

2. 存在するとすれば、それはどのようなもので、それは移転価格税制における「無形資産」と言えるか?

上記の「組織能力」は以下の通り説明されている。

ある企業が他社に優る安定的な競争力や業績をあげ続けている時、その背後には、その企業が持つ独特の経営資源や知識の蓄積、あるいは従業員の行動を律する常軌的な規範や慣行、すなわち組織ルーチンが存在するのではないかと推定される。(P.28)

…その企業独特の組織ルーチンの束が、ライバルを凌ぐ成果をもたらしている場合、そうしたルーチンの体系を、全体として「組織能力」と呼ぶ。つまり「組織能力」とは、①ある経済主体が持つ経営資源・知識・組織ルーチンなどの体系であり、②その企業独特のものであり、③他者がそう簡単には真似できない(優位性が長もちする)ものであり、④結果としてその組織の競争力・生存能力を高めるもの、と定義できる。(P.28)

「他社に優る…業績をあげ続けている」とは移転価格税制の言い方で言えば「超過利益が出続けている」と言い換えられると思うが、超過利益が出続けている時に、そのような組織能力の存在と優位性が「推定される」。若干トートロジーのように感じなくもないが。

さらに引用を続ける。

企業は、技術開発、デザイン、生産、調達、販売・マーケティング、物流、財務、法務、戦略構想など、さまざまな面で組織能力を蓄え、他の企業に差をつけることができる。(P.28)

移転価格税制においては、製造業の場合、超過利益の源泉を「技術開発」を中心に考えることが極めて多いように思うが、ここでは、そのような他社と「差をつける」「組織能力」が構築され得るのは、企業活動のあらゆる分野において、とされている。

 

上記1.で示したような日本の自動車企業に存在したとされる競争優位性の源泉としての『もの造りの組織能力』は、「『創発的』に形成された」(P.193)、つまり問題や課題が発生した時に様々な制約条件の中で「『怪我の功名』的な経緯」(P.182)を経て形成されてきたことが多いことが説明される。

「しかし、一つ問題が残る。仮に、生産や開発の組織能力が創発的に形成されるとすれば、なぜ、ある企業が他の企業より能力構築がうまい、というようなことが起こるのだろうか。」(P.193)この問いに対して「筆者が、トヨタ自動車の強さの究極の源泉として行き着いたのは、…『進化能力』である」(P.195)。そして「組織の『進化能力』の実態は何か?」として、続けて以下のように説明されている。(P.198)

詳しいことはまだよく分かっていないが、月並みな言い方をすれば、それは、競争力に関して組織の成員が共有するある種の心構え(preparedness)なのだろうと筆者は考えている。企業が創発過程そのものを完全にコントロールすることはできないとしても、組織の成員が日ごろからパフォーマンス向上を指向する持続的な意識を保ち、何事か新しいことが起こった時、「これはわれわれの競争力の向上に役立たないだろうか」と考えてみる思考習慣を、従業員の多くが共有していることが、その組織の進化能力の本質的な部分であるようだ。

「何それ?」という気がしないでもない。今時の言葉を使えばトヨタのもの造りに関わる現場では、他社と比較して「意識高い系」の社員が多い、ということなのだろうか。しかし、これが「強さの究極の源泉」だとすれば(実際優れている企業とはそういうものだろうという感覚はある)、これは移転価格税制において超過利益をもたらすものとされる「無形資産」の定義に当てはまるものなのだろうか、という疑問が出てくる。仮に移転価格税制における「無形資産」の定義に当てはまらないのであれば、超過利益の源泉を企業グループの各機能、個別会社に割り振ろうとする移転価格税制の試みは、「究極の源泉」を抜きに議論していることになるのではないか?

移転価格税制における無形資産の定義は以下で検討したが、要約すれば、無形資産とは「有形資産及び金融資産以外の資産で、独立の事業者の間で通常の取引の条件に従って譲渡・貸付け等の取引が行われるとした場合にその対価が支払われるべきもの」であり、上記のトヨタの強さの究極の源泉としての「心構え(preparedness)」がこれに該当するかどうかは、特に「その対価が支払われるべきもの」という定義に照らせば、かなり怪しい。

tpatsumoritaira.hatenablog.com

唯一、「心構え(preparedness)」に対して対価が支払われるとすれば、それはトヨタないしその一部の事業が買収される場面ではないだろうか。そう考えると「心構え(preparedness)」も移転価格税制における無形資産に該当することもある、と言えるのかもしれない。

OECD移転価格ガイドライン」に登場する「集合労働力(assembled workforce)」という概念はこの「心構え(preparedness)」に近いのかもしれない。井藤正俊著「移転価格の実務Q&A」(清文社)P.314~5では、「集合労働力」は無形資産として取り扱わない一方で、事業再編の場面では考慮され得る、ということが説明されている。(「OECD移転価格ガイドライン」ではパラ1.152-3参照。)

しかし、実際の移転価格調査の場面において、例えば海外製造子会社の利益率が高かった時に、日本の国税に対して、「この製造子会社は『心構え(preparedness)』がすごいのです。だから超過利益を配分すべきなのです。」と説明したところで、全く通用するようには思えない。仮に通用したとしても、では親会社との間でどう利益配分するのが適正なのか、と問われた時に解がない。

最初の「存在するとすれば、それはどのようなもので、それは移転価格税制における「無形資産」と言えるか?」という問いに対しては、現時点では、「日本の自動車業界のモノづくりの強さは経営学の世界では『心構え(preparedness)』に由来するとされている。移転価格の世界では『心構え(preparedness)』を「無形資産」と主張することは無理ではないが、かなり難しい」ということになるだろうか。

3. (メモ)「製品=情報+媒体(メディア)」

「…企業が日々生み出す製品を『製品設計情報が素材すなわち媒体(メディア)のなかに埋め込まれたもの』と考えてみる」と「製品=情報+媒体(メディア)」と表すことができる。(P.29)製品開発とは情報の創造であり、生産とは情報を媒体に転写することであり、販売とは情報の対外顧客発信である(P.30 図2・1より)、と言える。「サービス業も製造業も本質的な違いはな」く、「設計情報を有形の媒体に乗せるのが製造業、無形の媒体に乗せるのがサービス業」(P.30)である。

この発想から考えると「…現代の大量生産プロセスとは、『工程から製品へと設計情報の受け渡しを繰り返し行うこと」である。(P.85)そして、「『生産性』とはそうした工程から製品への情報転写の効率のことであり、『製造品質』はその転写精度のことであり、『生産リードタイム』とは情報の受け手である製品の側が設計情報を吸収するスピードのこと」(P.85-6)。