今回は脱線。
マルクスの「資本論」は読んだことがないが、以下2冊の解説本によれば、給料は「労働力の再生産費」とのことである。
武器としての「資本論」 | 白井 聡 |本 | 通販 | Amazon
「労働力の価値とは何なのか」、「マルクスは労働力の価値を、『労働力の再生産に必要な労働時間によって規定されている。』『労働力の所持者の維持のために必要な生活手段の価値である。』…と規定しています。」(P.122)マルクスはリカードの「賃金の生存費説」、つまり「『労働者の賃金水準は、労働者自身が生きて、労働者階級が再生産されるのに必要な費用に落ち着く』という説」(P.122)を「基本的に受け入れてい」る(P.123)。
池上彰の講義の時間 高校生からわかる「資本論」 (集英社文庫) | 池上 彰 |本 | 通販 | Amazon
- 「労働者が働いてもらっている月給って、労働力の再生産費だった、ということ」(P.117)。
- 「労働力の再生産費、この給料でまた明日も元気で来て下さいよね、という給料をもらって一生懸命働く。そして一生懸命働くと、その労働力の価値以上の価値を生み出してしまうわけだ。…いわゆる剰余価値というのが生まれていくんだよ、というのがマルクスの理論なんだ。」(P.117)
- この再生産費には、労働者が毎日元気に働くための食費、住宅費、扶養している家族の費用、教育費などが入ってくるので「日本の終身雇用制では、年齢が上がっていくにしたがって給料が増えていく。これはまさに労働力の再生産にぴったり合っている」(P.118)し、その金額は、物価が低い国では低く、物価が高い国では高くなるのも労働者の再生産費が異なるから、ということ。
つまり、労働者として働いている限りは、自分が勤めている会社の利益に関して、決してProfit Splitをしてもらえるわけではないということ。あくまでも、かかったコスト、つまり生活費をベースにした給料だけが支給されるということ。
これはTNMMにおける機能・リスクが少ない取引当事者への移転価格税制上妥当とされる対価の考え方と全く同じ。労働者は機能・リスクが限定的。給料は生活費相当を安定的に支給されるのだから、労働者はリスクをとっていない。だから対価は「コスト(+α)」でいいでしょう、ということ。労働者によって生み出された「剰余価値」はリスクを取っている株主、ないしその株主から経営を任されている経営者が受け取る。移転価格であれば超過利益を機能・リスクを多く担っている取引当事者が独占する。Profit Splitに持ち込むにはリスクを分担しないといけない。
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でもProfit Splitとしての給料を受け取る労働者、というあり方もあるようだ。
自らが出資者であると同時に労働者でもあるという立場での労働対価の設定がメルヴィル「白鯨」に出てくる。(読んでいる最中。難しい。)
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捕鯨業では給金を出さず、そのかわりに乗組みは、船長もふくめて、配当[lay]と呼ぶ利潤の分け前をもらい、その配当の額面は乗組み各自の義務の重要度に比例するという慣行がある…。また、わたしは捕鯨では新米だから、配当がさほど大きかろうはずがないことも覚悟していた。しかし、わたしには海の経験があり、船の舵をとることも、ロープの練り継ぎもできれば、その他もろもろの技能があるのだから、これまで仄聞したことから判断して、最低二七五番配当――つまり、この航海がどれぐらいの純益をあげるかは知る由もないが、とにかくその純益の二七五分の一――はもらえるものと期待していた。(P.217-8)
この「配当[lay]」について、訳者による注釈は以下の通り。
(72)この「配当」(lay)という賃金制度は一六世紀デンマークのグリーンランド鯨漁ではじまったとされる。メルヴィルの時代では、船長が八番から一七番配当、つまり全利潤の八分の一から一七分の一を受けとるのがふつうだった。…(P.474)
つまり移転価格算定方法におけるPS法と同じく、貢献度に応じて全体利益のProfit Splitを受けるのである。ただ、航海中の「衣食住」のうち、「食住」は支給される格好になるので、厳密に、対価のすべてが利益配分ではない。また、その利益配分の水準も十分なものと言えなさそうではある。
二七五番配当というのはどちらかといえば長番配当(long lay)に属するものだが、ただよりはましである。もしこの航海の運がよければ、航海中に消耗する衣類の代金ぐらいにはなるだろうし、これは言うまでもないことだが、三年間の下宿代は一銭も出さずに寝床と牛肉にありつける理屈だ。(P.218)
移転価格税制におけるグループ内各社の利益配分も、今の大勢を占める「コストに対するマークアップ」(製造機能ないし役務提供への対価)でなければならない必然性はないはずである。もちろん、貢献度に基づくProfit Splitには、その貢献度をどう決めるのかという悩ましい問題があり、上記で語り手(イシュメール)が述べているように、本人の期待(二七五番配当)と実際の割り当て(三〇〇番配当の契約にサインするようである、P.222-3)との乖離は起こるのであろうが、「独立企業間」でも様々な対価設定はあり得るのではないか…。(脱線ついでに脱線すると、販売機能への対価が一般的にTNMMでは売上高営業利益率になるのはおかしいのでは、と思う。製造機能やその他役務提供への対価の設定との理屈上の整合から考えると、投じたコストである販管費にマークアップした水準が妥当ではないか。ただ、販売機能について回る在庫・回収リスクの程度次第、ということになってしまって、かえってややこしくなるか?)