移転価格税制の実務研究ノート

移転価格税制の勉強の過程。実務のヒントを探しています。

取引コストと移転価格

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■取引コスト

松岡真宏著「持たざる経営の虚実」(日本経済新聞出版社)において、松岡さんは「『持たざる経営』や『選択と集中』という、ある種の減量経営的なスローガン」(P.3)に対して、「経済学者のロナルド・コースの『取引コスト(Transaction cost)』という考え方」(P.86)を持ち出して、今後は「持たざる経営」よりも取引コストを引き下げる目的での買収(「内部化戦略」P.93)を提言している。

取引コストは以下のように説明されている。

取引コストとは、ユーザーの外部に存在する市場や企業から、部品や資材を調達するなど様々な取引の際に発生する種々のコスト(=手間)である。(P.87)

企業内の機能を使って調達した方が、取引コストが安くなる場合、その企業が組織内で行われる。外部に存在している他の経済主体に外注する方が、取引コストが安くなる場合、その機能は組織外で行われる。取引コストを考慮して、組織や企業がそれぞれ取引コストを最小化するような合理的な行動をとることで、各組織・企業の形が最終的に決まる。(P.87)

 取引コストは例えば、製造子会社・販売子会社を現地に設立する、という方法ですでに海外展開している日本企業において、これらの子会社が子会社ではなく、独立した第三者の会社だったら、と思い浮かべると、実感しやすいかもしれない。もし既存の海外製造子会社・海外販売子会社がグループ会社ではなかったら、グループ会社であった場合と比べて…

  • お互いにノウハウ・情報の持ち逃げリスクを懸念し、重要な情報の共有には細心の注意を払う
  • 価格をはじめとする取引条件の交渉は厳しくなる
  • 問題(品質問題、在庫、低操業等)が発生した場合、責任(費用)の負担をめぐる交渉も厳しくなる
  • これらすべてについて、契約を厳密に定める必要がある
  • きちんと仕事がされているのか、監視する必要があるが、海外で何が行われているのか監視するのは難しい(情報不足)、また、委託先企業側も内実を見せたがらない
  • より条件のよい委託先を開拓する必要がある場合も出てくる

…等、ちょっと考えただけでも日本企業側、海外企業側の双方でかなりの手間(=取引コスト)がかかり、一言でいえば「かなり面倒になりそう(=仕事が増えそう)」である。これが1社だけを相手にするならよいが、数十社、会社によっては数百社を相手にするとなると、その手間は想像を絶するものになりそうである。また、関係会社間であれば当然行っていたような仕事をスムーズに進めるための「ちょっとした協力」も期待できないため、仕事を進める上でのいらいらも募るだろう。(もちろん、その一方で、関係が固定化しないことによって、連結損益上の固定費化が防げ、ドライな関係を維持できる。例えば、成果が思わしくない取引であれば双方とも関係を切りやすく、競争原理を導入できる、というメリットもあるだろう。話が横道に逸れるが、製造機能をグループ内に持たない製造メーカーであるアップルは、生産委託先との間で発生するこのような取引コストを許容し、これらのメリットを取りに行っているものと想像する。)

 

「取引コスト」は現に内部化してしまっていたら(グループ会社化していたら)どの程度その発生を抑制できているのかは測定できないし、また、外部化している状態においても、内部化した場合と比較していくら発生しているのかを算出することはできない。ただ、明確に算定することはできなくても、取引コストが存在していること自体は誰しも理解できるのではないだろうか。

例えば、移転価格実務担当者として、外部コンサルをお願いする場面がよくある。この場合、何度もご相談している会社、先生に今回もお願いしようとなった場合(内部化に準じた関係)、ご相談の前提条件(自社はどのような会社で、どのような海外取引をしていて、どのような価格設定方法をしていて、何を重視していて、等々)をお伝えするのは楽かもしれない。また、力量もわかっているので、安心してお願いできるかもしれない。一方で、初めてお願いする方に対しては、一からすべてを説明しないといけない、いいアドバイスがもらえるかわからないという不安がある、社内決裁の取得にも余計な手間がかかる、相見積もりをとれと言われるかもしれない。「取引コスト」の存在は理解できるし、現に発生・存在するが、定量化せよ、と言われたら難しい。

(なお、ここまでの記述は上記の松岡さんの著作に加えて、菊澤研宗著「組織の不条理」(中公文庫)における取引コストの説明も参照している。)

 

■独立企業間原則は絶対ではない?

さて、上記のような「取引コスト」という考え方をとると、外部取引と内部取引との間には大きな差があることがわかるが、移転価格税制上、この点はどのように整理されているのだろうか、という点が気になった。

この点について、中里実「移転価格課税と経済理論:実務における経済理論の利用可能性」(中里実・太田洋・弘中聡浩・宮塚久編著「移転価格税制のフロンティア」(有斐閣)P.21-41)は、移転価格課税は「市場取引こそがあるべき取引であるという抜きがたい『偏見』(ないし、市場取引に対する憧憬)が存在するのではなかろうか」(P.29)と指摘した上で、「少なくとも、このような課税が、企業内取引・企業グループ内取引と市場取引における取引費用の差異を無視して、本来異なるものに対して同様の課税を行うことを強制していることは否定できないであろう」(P.29、下線筆者)とする。

「本来異なるもの」を、その「差異を無視して」同じと見ましょう、と割り切ってしまっているのが、現状の移転価格税制における大原則である「独立企業間原則」であるとするならば、この原則は絶対的なものではなく、将来的には変わり得る、異なる割り切り方もあり得ると考えておくのが自然なのではないだろうか。